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グッドヴァイブレーション

こんにちは、卒論日記2周目、今回の担当は早く動物の森が買いたい高橋です。


僕の卒論は、マンガ『おやすみプンプン』の作品論です。
それにしても、書いているうちに新しいことが浮かんだり、新たな本や資料を読む度にあれもこれも書ける現象がおきるものです。こういうことを何度も繰り返していたら、気がつけば5万字を超えそうなところまで来ました。

最近も、一応の卒論提出日だった18日に発売された『美術手帖』に載っている、我らが宮本先生の記事を読んだところ「あ、こういう見方をすればいいのか、こう書けばすっきりまとまるのか」と思わせられる点があり、早速参考資料に追加して、編集を続けているところです。さらに、この『美術手帖』には『おやすみプンプン』の作者浅野いにおさんのインタビューまで載っており、まさに最新の資料まで手に入りました。


前回のブログの時と比べると、そこまで大きく方向性が変わってはいませんが、書いているうちに想定以上の話にまで辿りついて来たな、という感じです。また、後半に書く予定だった社会反映論は、自分の能力では困難だと判断したため、基本的には表現論一本にしました。






それでは早速、僕の卒論がどのようなものになったのかをざっと説明します。

はじめに序章として、マンガの言説史について確認し、どのような観点からマンガを捉えるべきかという原理的なところから話をしています。実は、1番書くのに時間がかかったパートのひとつでした。マンガ研究の先人達に感謝です。

さて、本論に入ります。
第1章では主人公プンプンの「身体論」を展開しています。
この作品では、プンプンの造形だけが、人間というより「記号」のような姿で描かれております。(詳しくは、前回のエントリ-で紹介したので参考にしてください。)そこで、この姿についてどれだけ多くの観点から分析することができるのかがこの章の勝負です。

先ず、プンプンは「キャラ/キャラクター」として成立するのかを分析的に考えました。結果的には、いうまでもなくプンプンも「キャラクター/キャラ」として扱い得るのですが、それを本当に決定づける要素は何なのか、プンプンが「キャラクター」になった瞬間(のコマ)はどこなのかということにまで考えを巡らせています。

次に、記号のようなプンプンな姿を「記号風身体」と呼ぶことにし、その記号風身体が、どれだけ現実と対応しているかについて吟味しています。ここでいう現実とは、現実の人間の肉体(の描写)と考えていただいて結構です。

基本的に記号風身体は、読者にのみそう見えるように描いているので、「読者が視ているプンプン≠作中の人物達が視ているプンプン」が成り立つことになります。しかし、実際に作品も見ると、この式が成り立たない場面も見受けられ、記号風身体の記号性に揺らぎがあることを証明しています。
また、連載が進むうちに記号風身体の描き方には変化が見られます。さらには、姿カタチを思いきり変化させて描かれるシーンもあります。そこで、特徴的な部分を抜き出して、ここでも記号性に着目しながら考察しています。


身体論の最後として、プンプンの身体をいわゆる「マンガ的表現」の観点からも考えています。
たとえば、分かり易いマンガ的表現として「驚いて飛び上がる」というものが想像しやすいと思います。本作品では、ほとんどプンプンだけがこのような誇張的な表現を見せます。このようなマンガ的表現は、日本においては手塚治虫が大きく発展させたとされていますが、プンプンは時に、手塚作品や手塚以前のアメリカのアニメなどに見られるものを凌ぐほど大胆な身体描写を見せることがあります。このような表現ができるのも、プンプンが記号風身体を有しているからこそですが、同時にそれを平気で読めてしまう私たち読者のリテラシーの高さにも感心させられてしまいます。他にも、漫符やオノマトペについても考察しています。




第2章ではプンプンの内面世界についてです。どのような表現によって、プンプンの内面・心理を豊かに見せているのか、どのように読者をプンプンに寄り添わせるかについて考えています。

内面描写の代表的なものとして、キャラクターの心の世界やイメージをそのまま描く心象風景というものが挙げられます。これは特に、連載初期に度々見られ、視覚的にも分かりやすい内面描写だと言えます。しかし、プンプンで特徴的なのは、現実世界の描写に心象風景が入り込んでくるというものです。プンプンには、心の中で自問自答する際の対話相手として「神様」というものが描かれるのですが、次第にその神様が心象風景のコマではなく現実世界のコマに顔を出すことが多くなります。

このようなコマを「視点」という観点から考えるならば、現実世界(家の中など)にいるプンプンを客観的なショットで捉えているので、一見構図としては「客観視点」で描かれているように見えるのですが、内容的にはその本人しか知ることが出来ない「限定知視点」のコマである、もしくはそれらが混合しているという複雑な構造を見せます。このあたりも、マンガならではの表現だと思います。

他にも、内面を表現するものとして、言葉(セリフ)に注目しています。プンプンは主人公でありながら、フキダシが描かれないという特徴があるので、フキダシ外の言葉の効果、プンプンに関する言葉を文法的に捉えるなどして、いかにして読者はプンプンに引きつけられてしまうのかという考察をしています。



第3章は、本作品を読み通した時に得られる、作品世界の通奏低音(テーマ)の形成に、「絵」や「個々のエピソードの繋がり」が深く関わっているのではないかという点を論考しています。

僕がこの作品から引き出したテーマは「人との繋がりからは逃れられない」、「この世界は繰り返す」という2つです。

先ず、「絵」についてですが、ここでは主に背景画とプンプン以外の人物の描き方について、連載が進むうちに見られる変化を気追いつつ、見ています。(ここで、浅野さんの名物とも言うべき写真を加工した背景の効果について話をすることができて安心しました笑。)
背景画に関連して、『おやすみプンプン』のストーリーが繰り広げられる舞台についても意味付けができると考えています。この作品に描かれるのは主に「都市」と「地方」です。この対比は、「日常」と「非日常」、「現実世界」と「現実逃避の世界」……という風にして捉えると、より作品に潜むテーマを捉えやすくなると思います。


次に「エピソード」についてです。ここでは作品の本筋となるストーリー展開には、直接影響を及ぼさない(と思われる)エピソードを考察しています。すると、以前出てきた人物が実は某宗教団体に所属していたり、プンプンとは殆んど関わりがなくなっていた幼馴染が、かなり間接的にプンプンに関わっていたりなど、異常なまでに「人と人との繋がり」を意識して描かれているように思われました。このようなエピソードの特徴として、作中の人物たちはその繋がりに気づいていないということが挙げられます。言うなれば、作品世界を俯瞰できる読者だけが気づくことが出来る伏線になっているのです。このような点に、作者から読者だけに向けられたものというメッセージ性を感じます。


2つめにテーマについては、マンガ的な演出から答えようと考えています。本作品は、ある時には孤独を求め、またある時には人との触れ合いを求め、というように非常に「繰り返し」が多い物語です。この「繰り返す」というイメージはマンガ的な演出からも読み取れます。例えば、第1話の反復ともとれる話の始まり方をみせる回があったり、物語前半で使用したコマの構図(しかも結構ドラマチックな場面)と同じ構図を物語後半で再び用いるなど、かなり計画的に演出しているのか伺えます。




………長くなりましたが、以上が大体の僕の卒論の概要でした。

作品を読んだことがない方には、ピンとこない点が多々あったと思われますが、卒論自体は作品を読んでなくとも、それなりに楽しめるように書いたつもりなので、是非本稿の方をお読みください(笑)。

次は、カフェの西木くんです。僕は家で、卒論を書きながら1日3~4杯はコーヒーを飲んでいました。お陰であと一個分で、カルディコーヒーのポイントカードが貯まります。よろしくお願いします!

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